土井敏哉のプロフィール

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 この顔写真は古いので、実物はこれに15歳足してください。

 昭和42年1月9日生まれ 京都市東山区出身 AB型 山羊座です。
 山羊座の未年というと「似すぎ」と笑う後輩がいます。@^ェ^@ メェー!

 
大 学

 出身大学は、同志社大学文学部文化学科です。美学及び芸術学を専攻していました。
 卒業論文のテーマは、「現代音楽における対位法」でした。現代音楽を音楽美学哲学の立場から分析してみました。( ̄〜 ̄;)
 ちなみに対位法というのは作曲法のことで、現代のようにコード進行から作曲したりメロディーにコードを充てるのではなく、いくつもの違ったメロディーを組み合わせて作曲する方法でその歴史は深く、バッハなどのバロック音楽が有名です。
 卒論では、シェーンベルク(ロシアの作曲家です)などの和声法に全くとらわれない難解とされる現代音楽が、なぜ美しい音楽足りうるのかということを延々と、そしてとうとうと述べるという 屁理屈好きにはたまらない一品に仕上がっています。

 実生活の方で好きな音楽はディープパープルやアイアンメイデンなどのハードロックでした。ちなみに高校時代、教室の私のロッカーには、「土井のハードロッカー」と誰かが落書きしていました。
 当時は真剣にプロのミュージシャンを目指しており、髪も金髪で腰までありました。近所の人は怖かったと思います。( ̄〜 ̄;)

 楽器が上手ければプロになれると思い込み、真剣に、そして異常に練習していましたが、ある時、そもそも音楽を通してみんなに何かを伝えたいというミュージシャンとして最も肝心な部分が自分には欠けている と気づきプロは無理だと悟りました。
 そして心は就職へと向かいます。就職活動はバブル真っ盛りの昭和63年、活動を始めて1週間で内定が出ました。楽な時代だったんですね。

 
就職その1

 平成元年4月 消費税と共に社会デビューを果たしました。最初の就職先は大手旅行会社の京都営業所です。
 若くてわがままだった私は、よく先輩に迷惑をかけていました。バブル全盛の時代で、就職活動でも苦労しませんでしたし、そもそも真剣に仕事に取り組む雰囲気がない時代でした。(それは私のだけの認識?)
 ちなみにそのころ、何事にも無関心で何に対しても情熱を持たない僕たちの世代は「新人類」と呼ばれ、熱い大人達には嫌われていました。何を言ってもテンションが上がらず、きっと使いにくかったと思います。

 旅行会社に就職したきっかけは、当時、明石屋さんまさんが「男女七人秋物語」というドラマでツアーコンダクターをしていたので、それを見てると楽そうで楽しそうだなと思ったからです。
 でも現実は、土日は添乗、平日は炎天下の飛び込み営業で休みもなく、本当にまいりました。(x_x)
 1日100軒の飛び込み営業をこなし、2週間もすると飛び込む会社が無くなり、しかたなく適当に作った会社名を営業日誌に書いていました(時効ですよね)が、さらに3週間も経つとさすがに会社名も思いつかなくなり、力も尽きました。

 結局、まったく実績をあげることなく旅行業から撤退しました。最大の敗因は京都盆地の夏の蒸し暑さと冬の底冷えです。ほんとに死ぬかと思いました。
 白旗〜♪◇\(o・Q・o)/◇ マイリマシター
 当時お世話になった皆様、なんのお返しも出来ずごめんなさい。m(_ _)m
 お陰様で今でもなんとか元気にしています。

 
就職その2

 外回りの仕事は嫌だなと思っていた営業中のある日、とある関西ローカルのファミリーレストランにふらりと入り、その社員の働きっぷりを見て「ここだ!」と思いました。
 最大の志望動機は他でもありません。まず職場に冷暖房があること。(^^)v
 また、ファミレスの社員がヒマそうで楽そうだったのも魅力的でした。まあ正直なところ女子高生たちと働けるというのにもかなりの期待がありました ヽ( ̄〜 ̄ )ノ。

 私は迷うことなくすぐに店長候補生として就職し、さっそく店舗運営に携わることとなりました。
 楽そうだと思って入ったこの業界でしたが、またしてもこれまた大変でした。(x_x) その土日の忙しさたるや半端なものではありません。それから数年間、サザエさんを見ることが出来なかったのも辛かったことでした。未だに「お正月・お盆・ゴールデンウィーク」という単語がトラウマとなっています。
 バイトのシフトを埋めるため「一生のお願い」を150回ほど使いました。 ( ̄人 ̄)たのむたのむm(j◇j)m ってな感じ
 それでも、当時私がいた店は午前2時閉店でしたので、まだマシでした。24時間店勤務の同僚が「24時間は24時間じゃないんだよ。今日なんか、もう働き始めて36時間目なんだ…。」という言葉が忘れられません。

 
簿記との出会い

 日曜日にはゆっくりとこたつでサザエさんとちびまるこちゃんを見るという日本人として当然に認められた基本的人権を取り戻すためには、
何としても日曜日がお休みの業界へ転職しなければなりません!∠( ̄∧ ̄) !
 …とはいうものの、バブルもすっかり崩壊し、平成大不況の平成4年、なんか資格がないととても転職できないと思った私は、最初は情報処理関係の資格を取ろうと思い勉強を始めようと思ったのです。まずは簿記からというわけで、アルバイトのみなさんの協力を得て、バックルームで簿記のお勉強を始めたのでした。

 
勘違いで会計士試験を受けることに

 簿記の勉強を始めた6月頃、日商簿記検定試験は年に3回あるのですが、丁度終わったところだったので、ここは一つ高望みをしようと思い、次の11月に1級を取ることにしました。これが間違いの始まりでした。
 そんなある時、何かのきっかけで会計士試験の合格体験記を読んだら、「簿記検定1級は会計士試験と同じレベル」と書いてあったので、「じゃあ1級を取ったら次は会計士になろう」と真剣に思ったのでした。25歳の秋でした。

 
簿記1級を借金の担保に…

 無事簿記1級を取った私は、意気揚々と簿記学校に会計士受験の相談に行きました。でも、そこでいわれたのは意外な言葉でした。
 「いや絶対、会社やめないと会計士試験はむりですよ… ハハハ f ^ ^ *)。」
 今も昔も相変わらず貯金がない私は、その足で親に借金しに行きました。そういえば未だに返してませんが…
 そして平成5年春、そこから夢のプー太郎生活に突入します。
 でも、ショックだったのは、あんなに憧れていた。ちびまる子ちゃんや少年アシベ、きんぎょ注意報など、見たくて見たくて仕方なかったアニメがちょうど終わっていたことでした。ちびまる子ちゃんだけはその後再開されましたが…。(・ω・)/ごまちゃん<・)))彡ぎょぴちゃん
 ちなみに、毎日夕方4時頃から再放送されていたドラゴンボールは毎日見逃しませんでした。死ぬほど面白かったです。ピッコロとか…

 
会計士補にはなったものの…

 時の経つのは速いもので、そんなこんなで平成6年10月、私は公認会計士2次試験を無事終え、会計士補というものになりました。
 でも相変わらずの不況で、27歳と合格者としては比較的高齢な私は就職先がなかなかみつかりませんでした。
 あんまりにも就職先が見つからなかったので、ある日、大阪の弁天町にあるハローワークに行って「会計士補なんですけど就職ないですか?」と相談に行ってみたのですが、
 「会計士って何?あんた他になにか資格はないの?凸(▼。▼)y- ̄」と聞かれ、
 「あっ簿記1級もありますf(^^;)」と答えると、
 「なんでそっちを先に言わないの?…v(ー_ー)」と言って、いろいろ探してくれました。「会計士って誰もしらないんだ…(;^_^A アセアセ…」と思いました。あのときのおばちゃんありがとう。

 
就職その3

 そしてついに就職が見つかりました。会計士協会近畿会の紹介です。金沢に本拠地のある公認会計士の個人事務所の大阪事務所です。
 ついに憧れの「OLと一緒に仕事が出来る夢の生活」が始まるのです。(^^)v
…と思いきや、大阪事務所にはOLはいませんでした。ε〜(;@_@)

 なので、本拠地である金沢事務所への出張には気合いが入りました。 ( ̄m ̄*)V 
  関西人のたしなみとして、出張のたび二つや三つ「満点大笑い」を取ってこなくてはなりません。
 そしてその地道なお笑い活動の成果…かどうかは分かりませんが、その翌年金沢事務所への転勤についに成功したのです。
 まさかそのまま永住することになろうとは、当時は思いもしませんでしたが…。

 
就職その4

 それから程なくして、個人の公認会計士事務所の金沢事務所から大手監査法人(朝日監査法人 現あずさ監査法人)の金沢事務所への転籍を認められ、税務中心の業務から上場企業の監査や上場準備・業務コンサルティング中心の業務へとシフトすることになります。真面目な話、個人事務所での税務業務と大きな監査法人での会計士業務の両方を経験できたことは今となっては非常に大きな財産になりました。
 あのとき、監査法人への転籍を認めてくださった所長には感謝しています。きっと内心ではご不満があったと思います。

 
その後

 最初のうちはホームシックにもなりましたが、良く知れば金沢というところは本当に良いところです。
 街はきれいですし料理も美味しい酒もうまい、女性もきれい(^.^)で雪もきれい、海も近いし山もある…登らないけど。
 街をブラブラするとたくさんのきれいな人と出会います。(そればっかりか…)
 そして、生まれ育った京都に雰囲気が似ていることも私にとっては楽でいいところです。距離的にも近いですしね。
 というわけで、やっぱりサラリーマンは務まらなかった私は金沢にて、独立開業となったわけです。
長文のおつき合いありがとうございました。<(_ _)> 

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